掲 載 一 覧 最 新 号
第81話「虫の話」
 先日、耳の中がガサガサするという患者さんが来院。拡大鏡で診察すると、耳の中に黒い虫がうごめいている。硬性鏡で写真撮影してから、耳垢と共に鉗子でつまみ出した。小さな蜘蛛だった。耳垢のために奥に入れなかったのが患者さんにとって幸福だった。

虫が入った耳の中

 除去した蜘蛛の死体
数年前、カナブンが耳の中に入り込み、爪で鼓膜をひっかいているために、おとなの患者さんが泣きながら受診したことがある。耳の中に麻酔液をたらし、カナブンをねむらしてつまみ出した。残念ながらその時の写真はない。
そういえば、虫にはいろいろな思い出がある。
小学校1年生の時、季節は記憶にないが、鵠沼海岸の波打ち際がキラキラ光輝いているのを見たことがある。夜光虫の襲来とのことだった。古ぼけた夏休みの絵日記を探し出した。何しろ古いものなので、はっきりしていない。しかし、その不思議な美しさは記憶の中では鮮明だ。
 

私が小学校5年の時に太平洋戦争が終わった。昭和20年(1945年)8月15日の事だ。
私は当時、鵠沼海岸の海岸線134号線沿いに住んでいた。終戦の翌日、鵠沼海岸の水平線を米国の軍艦が埋め尽くしているのをみて驚いた事をはっきり記憶している。
そして、当時、134号線は一車線で、その横に松の木に囲まれた遊歩道があった。今よりも家もまばらで趣があったが、季節によっては遊歩道を歩けないほど松毛虫がうごめいていた。
鵠沼海岸の松林 
松毛虫の想像絵図 
当時はひどい食糧難。薩摩芋とカボチャが最高ご馳走で、良質なタンパク質などなかった。そのためか、この松毛虫をフライパンデ炒めて食べられないかと真剣に考えたこともある。
 日吉の銀杏並木(提供 慶應義塾高校広報委員会)
 
 銀杏の虫の想像図
私が、慶応高校(日吉)に通学していた頃、東横線の日吉駅から高校の校舎までの広い道路は立派な銀杏並木に囲まれていた。高校時代の楽しかった思い出の一つだ。然し、7月頃は、銀杏並木の下に無数の銀杏の虫が落ちていた。歩くのが気持ち悪いくらいだった。しかし、クラス会等で学友達に聞くとそんな記憶はないという。「矢野君が余程の虫嫌いだからそのような妄想を記憶しているのだろう」と、そっけない。私は彼等の記憶力よりも私の方がすぐれていると思うのだが証拠がない。
日吉の事は知らないが、今の鵠沼海岸の松林に毛虫はみあたらない。藤沢市で消毒しているらしいが、その現場を目撃した事がないので不思議だ。
 
         2016年7月1日
矢野耳鼻咽喉科院長 医学博士 矢野 潮